ガラス戸の中 コメント:0

楽しげな語らいがある。
次々と増えていく高層ビルの谷間に、奇跡的に残っている、崩れそうなモルタルの建物の、1階にある、小さな焼き鳥屋の、ランチタイム前の、少し開いたガラス戸の中から、こぼれている。
藍色のもんぺをはき、頭に手ぬぐいをかぶった小柄なおばあさんが、重ねた四角い竹の籠から、次々と取り出しているのは、たぶん、朝、収穫してきたばかりの野菜や、自分で煮たかもしれないお惣菜や、もしかして、自家製の漬物や干物か。
日焼けした顔が手ぬぐいの中で笑っている。
朝早く、遠い家を出て、いまが、食事の時間なのだろうか、話をしながら箸を口に運んでいる。
そんなに楽しい話は何だろう。
横に置いた背負子の籠には、あと何が入っているのだろう。
毎朝、どこから来るのだろう。
仕事に急ぐ足を止めるわけにはいかなくて、いつも、横目で通り過ぎる。
話に加わりたくて、耳をそばだてながら通り過ぎる。

2008年09月09日    

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往年のレオは、鋭い眼と耳と鼻と、とびっきりの気の強さとプライドの高さで、怖いもの知らずだった。武勇伝は数知れず、友達の中でも、喧嘩が強いと評判なフレンチブルとの死闘は、今でも語り草になっているほどだ。

そのレオの唯一の苦手は雷だ。人間に聞こえない音を聞く敏感な耳は、遥かな雷鳴を聞き分け、早々と、彼の落ち着きをなくさせた。雷が頭の上でとどろき始めると、プライドなどかなぐり捨てて、ブルブル震えながら、家の者につきまとったものだ。

しかしいま、レオは、平和だ。
必要なことだけ聞き分ければいい耳は、人間の命令と供に、雷鳴も遠ざけた。
猛烈な雷雨に、他の犬たちがどんなに騒いでも、レオの周りは静寂に包まれている。

2008年08月30日    

寝るより楽は コメント:0

「寝るより楽はなかりけり」
せいせいと布団に手足をのばすと、父はいつもそう言っては、さらに伸びをして、気持ち良さそうに、眼をつむったものだ。
その続きがあると母から聞いたのは、父が亡くなり、母と枕をならべて寝ることが多くなってからだ。
「寝るより楽はなかりけり、浮世のバカは起きてはたらけ」
 おとうさんらしいわねと、母は笑ったが、あまりにばちあたりな言いように、落語や古い川柳など、どこかに出典があるのではないかと探していると、沢村貞子のエッセイに同じような言葉があると、友人が教えてくれた。
「やれやれ、きょうもなんとか過ぎました。無事でけっこう。寝るほど楽があるなかに、浮世のバカが起きてはたらく」
働き者の母の口癖だったと、沢村貞子はつづっていた。
やはり、どこかに出典があったのだ。もの知りのH氏に今度、聞いてみよう。

父にはもうひとつ口癖があったが、これはどうだろう。
「朝寝て、昼寝て、夜に寝て、時々起きて、居眠りをする」

2008年08月27日    

八ヶ岳2008 コメント:0

少しでもたくさんの星を見せたくて、部屋の中の電気も、外灯も全部消した。
何もかもが急に、闇に融け込んでしまった。

黒い林の向こうに、何かの気配がする。
頭の上では、天の川がぼんやりと雲のように暗い空を横切っている。
星の数が多すぎて星座が結べない。
首が痛くなったと、文句を言いながらも、だれも諦めずに空を見上げる。
さっきのような、長く尾を引いた、正しい流れ星がまた見たくて、首の角度を変えてみる。
赤ん坊の様子を見に、交代で誰かが家に入り、戻ってきてはまた、空を見上げる。
「あ!」
同時に歓声が上がる。

暗闇の中の喜びをみんなは、解らないだろう。
息子たちと、それぞれのお嫁さんたちと5人で見上げる、山の夜の幸福を。
夫は、酔いつぶれて布団の中。

冬の星座が巡ってきそうな時間になって、ようやく、ひとりずつ部屋に引き上げた。

2008年08月24日    

M氏 コメント:0

髭のカットが変わったせいなのか、いつもとどこか違う雰囲気でM氏が現れた。
来月、心臓の手術をするのだという。
「もう、この画廊にも来られないかもしれないから。」
もう少しで80歳に手が届くM氏は、若いころ、ある女性小説家の思われ人だったという。読んだことのなかった、その小説家の本を手にしたとき、巻末に彼女とM氏が仲間たちと笑っている写真が載っていた。
「あの頃、俺たちが行くところ、行くところ付いてきたんだよ。」 
懐かしそうに、ちょっと得意そうにM氏は話した。

べらんめえのH氏のことが大好きで、彼の喜寿のお祝いを企画したのはM氏だった。
イギリスで卒業式や、戦争から生還した者たちのために歌うという英語の歌を、みんなで練習して、H氏が画廊のドアを開けた瞬間に歌うというサプライズもM氏のアイディアだった。
H氏の反応は、そんなに驚いたり照れたりしないよ、というM氏の予想通りだった。
H氏もM氏も、とても楽しそうだった。
あれから何年になるだろう。
四季彩舎で出会ったふたりの先輩たちが、この急な階段を登ってきて、お!と挨拶を交わす姿をいつまでも見ていたい。
手術が成功しますように。

2008年07月26日    

わたしのすきなもの・夏 コメント:0

ちらちらと揺れる木洩れ日。
際限のない犬たちの水遊び。
夕立の匂い。
蚊取り線香の匂い。
三時草。
友と烏瓜の花を探す時間。
花火。火薬の匂い。波の音。
陽が落ちたあと、子供たちがボールを蹴る音。
すいか。カキ氷。冷奴。
ラジオの子供電話相談室。

おおからすうり
Photo by M.Ohtake

2008年07月24日    

おもちゃ コメント:0

古い木の乗り物を居間に出した。
つかんで押す持ち手のところと、ハンドルに見立てて、クルクルと動かした部分が、黒光りしている。
まだ首もすわっていない初孫のために、父が新幹線に乗って届けてくれたときは、白木が美しく、手垢がつくのがもったいないようなオブジェだった。

「くるま」と呼び、長男がさんざん遊んだあと、3年後に次男が加わり、そして、数え切れないほど沢山の子供たちの相手になってきた。畳が傷むのにはらはらしている親の気持ちをよそに、家の中の遊びの人気者だった。乗る順番を待っている子を横目に、得意そうにハンドルを回していた子は誰だったか。
しかし、子供たちが大きくなるにつれ、いつしか、それがあったことさえ忘れられてしまった。
何回かの引越しでも、捨てられもせず無事だったのは、息子たちが父親になったときに、同じもので遊ばせたいという密かな思いがあったからだ。

そしてきのう、埃を払った「くるま」を見せると、孫は目を輝かせた。
乗せると、誰もがやったように「ハンドル」をクルクル回しては、嬉しそうに声をあげた。
30年前の息子のように。

もう少し大きくなったら、これは、あなたのお父さんも小さいとき遊んだのよと、話してやるのだ。

2008年06月21日    

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夜の8時すぎというのに、空は変に明るくて、用意した懐中電灯は、あまり出番がなかった。
小さな流れに沿いながら、あるいは、交差しながら、木道を歩く。
大人3人と子供ふたりの、総勢5人。
水の流れる音が、山奥に来たような錯覚を起こさせる。
目当ての蛍がなかなか見つからなくて、はるちゃんが、寒いと腕をさすり始めた。
蛍は蒸し暑い日に出るらしいから、きょうは無理かな・・と、案内してくれた友達が弱気になり始めたとき、
いた!
声のする方を見ると、小川にかぶさっている枝の暗がりで、急に青緑の光が動き始めた。
大きく小さく動く光は、まるで呼吸をしているようだ。
「ネオンのよう」では、あまりに貧しい形容かもしれないが、闇の中の光は、想像以上に明るくて、そうみえた。
はるちゃんたちが、あとで「蛍の名人」と名づけた年配の男性が、他にもいるところを教えてくれた。
橋の下にはふたつの、今度は少し赤みを帯びた光がぼわんと浮いていた。
最後に見たのは、ふわりふわりと方向を変えながら、飛んでいる光。
遥かな、懐かしい誰かの生命のような、淡い光だった。

見つけたのは、たった4匹だったけど、どこか遠くに出かけたわけでもなく、家の近くで見た蛍が嬉しくて、エイエイオー!と叫びたい気分で家路についた。

2008年06月18日    

仮面ライダー コメント:0

いきなり、仮面ライダーが現れた。
母との散歩コースの池のほとりでのこと。
名刺くらいの大きさの、小さなデジカメを三脚に乗せ、腰に手を当て、一人でカメラに向かっている。緑色のマスクをかぶり、息子たちが幼いころに欲しがった、変身ベルトをして、ブーツといういでたちだ。
どう見ても、仮面ライダーだ。
どこかに、テレビカメラでもあるかと、周囲を見回してみても、賑やかな鳥の声と、満開のエゴノキと、真っ青な空だけだ。
ジョギングや、散歩の人々が、立ち止まりもせずに通り過ぎていく。
誰も、不思議に思わないのだろうか。
躊躇する前に、言葉が出ていた。
何をしているんですか?
ここは、仮面ライダーのロケ地なんです。だから、記念撮影をしているんです。
マスクの下から、くぐもった声が応えてくれた。
でも、どうして・・
それ以上は応えずに、スカーフを翻して、すたすたと行ってしまった。
あっけにとられて、後姿を見送った。
休日の不思議な朝。

2008年05月18日    

秘密の花園 コメント:0

「いろんなものが大行列をつくって、音楽を鳴りひびかせながらやってくるみたい!金のラッパが聞こえるかもしれない!」
10歳になるまで外に出たことのなかった『秘密の花園』(バーネット作)の主人公の少年が、初めて見た草や木の芽吹きに驚き、喜びに胸を震わせながら叫ぶシーンだ。

遠い記憶の中で、この物語は、子供たちが大人を出し抜く小気味よさが主題と憶えていたが、大人になって読むと、春を待ちわび、小さな兆しをみつけては声をあげる子供たちの姿に注意が向いてしまう。

心が躍るこの季節が、数十年ぶりに読んだ物語と重なって、よけい嬉しい春だ。
物語の子供たちは、「そしてバラ!あゝ、バラ!」と叫ぶが、わたしは、「あゝ、あじさい!」と叫ぼう。

2008年04月24日    

2008年桜 コメント:0

木洩れ日が踊る中で、赤ん坊を連れて初めてのお花見をした。
小さな手の中のおむすびは、よそ見をしている間に、犬に食べられてしまった。
犬たちは遠慮なく、毛布の上に上がってくるから、土の上との境はとっくにない。
子育てに慣れてきた若いママは、葉っぱを口にしようとする赤ん坊を、元気にたしなめる。
前に、犬と赤ん坊の写真が撮りたくて、思わず、どいて!と言ってしまったことの罪滅ぼしに、
ママとのいい表情を狙う。
突風が吹いて、赤ん坊の柔らかい髪が逆立ち、丸いおでこが現れる。
老犬は、うとうと昼寝の体勢。
公園で一番の桜の下。

2008年04月13日    

謹んで コメント:0

謹んで報告申し上げます。
ひゅうがみずきがレモン色の花をぶら下げています。
菜の花とミモザが、春の色を競っています。
踊子草の絨毯の向こうで、枝垂桜が腰をくねらせています。
カメラマンに見つめられて、桃が張り切っています。
だらりと下がったきぶしの手前で、三つ葉あけびが息を吹き返しています。
梅に代わって沈丁花が、香りを担当しています。

謹んで報告申し上げます。
先ほど、生まれました。

2008年03月20日    

梅は咲いたか コメント:0

「梅は咲いたか・・♪」
風に乗って、梅が甘い香りを運んでくる公園で、聞き覚えのある歌が聞こえてきた。
だいぶ前のコマーシャルで耳になじんでいたが、先があるとは知らなかった。

歌が聞こえてくる先では、車椅子のお年寄りが数人、ヘルパーさんらしい若者たちと
満開の梅の下で、お弁当を開けていた。

なんだかわくわくして、もう一度聞かせて欲しいと注文すると、
手拍子で陽気に先を続けてくれた。
「梅は咲いたか、桜はまだかいな、柳なよなよ、風しだい、あ、山吹ゃ浮気で、
色ばっかり、しょんがいな♪ 」

「風しだい」までは、ゆっくりとのどを鳴らし、「あ」からは、早い節回しで一気に終わる。
拍手をして、もう一度歌詞をたずねると、丁寧に教えてくれたが、
どうして山吹が浮気なのかは、解らなかった。

お礼をして立ち去ろうとしても、歌はまだ、何度も繰り返された。
「この人、調子に乗せると、終わらないんですよ。」
隣のおばあさんが、苦笑しながら教えてくれた。

桜がほころび始め、柳が青めき、山吹はまだつぼみの昼下がりのこと。

2008年03月18日    

カメラ コメント:0

小学生のころ、子供用のカメラを父が買ってくれた。
レンズの両側に、1・2と番号のついたボタンがあって、
順番に押すと、シャッターが落ちる仕組みになっていた。

遠足に持っていっては、得意になって友達や景色を写したものだ。
父は、構図の取り方がいい、センスがいいと、しきりに褒めてくれて、
将来はカメラマンになりたいと、すっかりその気になったりした。

しかし、いつしか、写すことへの興味は薄れ、大人になって、結婚し、
子供が生まれても、小さな使いやすいカメラで、成長を記録するだけだった。


それが犬を飼うようになって、一変した。
泳ぐのが大好きな犬たちが、川に飛び込んだときの波紋や水しぶきを
とどめたくて、少し上級のカメラを買った。
しばらくして、今度はパソコンがきて、ホームページを作るために
デジカメに移行した。

扱いやすいもの、望遠のついたものと、次々に買い換えて、
今度で5台目のデジカメは、憧れの一眼レフ。

技術的なことは何も知らないが、カメラがいいんだもの、
いい写真が撮れるに違いないと信じて、ちょっと重いけど、
きょうも、犬たちにレンズを向ける。

2008年03月18日    

山笑う コメント:0

見上げると、ついこの間まで、真っ青な空を切り裂くように屹立していた木々の枝先が、ぼんやりとかすんでいる。
春だ!「山笑う」季節だ。
固く身を縮めて、冬の寒さをやり過ごしたあと、ほんの少しずつ伸びていく陽の光に合わせて、ゆっくりと背伸びでもするように春が始まっていく。そうして、気がつかないうちに始まっていた春が、ふと、何かの拍子にみつかる。
かくれんぼの相手でも探すように辺りを見回すと、水仙があちこちでうなだれ、桜の花芽がぷつりぷつり。もみじの枝先も赤く染まっていて、陽だまりには、いぬふぐり。
どんぐりを足元に落としたまま高いこずえで笑っているのは、くぬぎか、こならたち。
笑い始めたらもう止まらない。
おーい!笑い上戸たち、かくれんぼは終わりだよ。

2008年02月24日    

バレンタインデイ コメント:0

チョコレートをもらったよ、と夫が言った。嬉しさを隠して、何気なさそうに。ちょっと早いバレンタインだけどと、お嫁さんからもらったのだと。小さな箱の中には、酒を練りこんだチョコレートが並んでいた。そのお嫁さんの夫は、小学生の頃、クラスの女の子に片っ端からチョコレートをせがみ、その成果を沢山持ち帰って、手作りのものも、コンビニのものもいっしょくたに、嬉しそうに食べていた。彼の頭の中は、チョコレートはお菓子でしかなかった。
春には中学生になる隣のゆりちゃんは、おととい、友達と作ったと言いながら、手作りのチョコを抱えて帰ってきた。どんな子がそれを受け取るのだろう。
お菓子屋さんが始めたチョコレートゲームだけど、本気も、うそん気もこき混ぜて、男たちに幸いあれ。

2008年02月14日    

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夫の母の歌舞伎の記憶は戦争と繋がる。
幕が上がって、いざこれからというときに、空襲警報が鳴ったの。東京に初めてB29が来た日だったのよ。昭和18年か19年の4月18日。そのとき着ていた着物の柄や帯までなぜか憶えているわ。
怖かったわ。
それまでは、そうやって歌舞伎だって観にいけたのに、それからの生活が大変だったのよ。

そのあと、この国が戦争に負けて、戦地から帰った、兄の親友と、母は結婚したのだった。
助六のように色男ではないが、誠実な人と一緒になって、幸せだったと母はいつも言う。
でもね、ひそかに憧れていた人がいたのよ。背が高くて慶應ボーイでね。

2008年01月31日    

ばーば コメント:0

店の中は、柔らかな水色や薄桃色、淡い黄色であふれていた。ベビーベッドに低い椅子、手のひらほどの産着や、クマさんの模様のおくるみ。
大人の色を持ち込んだベビー服が多い最近、老舗の店内の優しい色に、30年前の出産を思い出した。小さくて柔らかくて、抱いたら壊れそうだった子。
あのときの赤ん坊が、お父さんになるのだ。
ふたりの息子たちが次々と嬉しそうに結婚し、娘ができたような喜びの反面、ひっそりとしてしまった居間のテーブルをいちばん小さいサイズで使おうとしていたのもつかの間だった。
去年の春にひとり増え、この春にもうひとり。
同じ学年のふたりに、ばーば、と呼ばれるのはいつだろう。

2008年01月24日    

初雪 コメント:0

小さくつけていたラジオが、初雪、といったような気がした。
そういえば、夜が明けるには、もう少しあるのに、表が明るい気がする。
布団にくるまったまま、カーテンを少し開けて、外の様子を伺う。
隣の家の屋根が光っている。
雪だ!
ベッドから飛び出し、カーテンを大きく開ける。
しかし、
道路が少し濡れているだけで、雪のかけらもない。
木の上も、良く見たら、隣の屋根も、どこも白くなっていなかった。
なーんだ・・
頭の中は、雪景色。一番最初に公園に行って、足跡をつけなくちゃと、思っていたのに。

2008年01月17日    

初詣 コメント:0

行列が、階段の下まで続き、さらに公園のほうまで伸びていた。猿田彦を祭っている小さな地元の神社は、いつもはひっそりとしているが、年に2回、秋祭りと新年の年明けに、善男善女で賑わう。鳥居には青竹が飾られ、階段の上のほうから人々のざわめきが聞こえてくる。少しずつ進んで、階段を登った先のささやかな境内では、いくつも焚き火がたかれ、真っ黒な夜空に切り込むように赤い火の粉が舞い上がっている。さまざまな祈りがこめられて、カランカランという鈴の音が響き渡る。甘酒や日本酒が振舞われ、ご近所同士の新年の挨拶が交わされる。
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。
帰り道に、公園に下りていくと、ひゅうがみずきの花芽が白く浮かんでいた。

2008年01月13日    

山ほろし コメント:0

玄関の横に植えた山ほろしが、反対側の木を足がかりにアーチをつくり、さらに2階のベランダまで伸び、下を歩くときに頭の上から何本もの蔦が垂れ下がっていて邪魔になっていた。夏の間は、気持ちのよい影を作ってくれていたが、冬になって急に汚らしく感じて、お正月くらいさっぱりしようと思い立った。
ベランダ側から、蔦の茂みをばっさりと切り込んでいくと、重みに耐えかねて、だらしなく垂れ下がっていく。エアコンの室外機のホースに絡んでいるところは慎重に。何年か前、ホースに穴を開けたことがあって大変だったのだ。改めて見ると、雨戸の戸袋から、屋根瓦の中にまで、蔦が入り込んでいた。さすが、山を滅ぼす「やまほろし」だ。物置から脚立を出して、今度は下から雨どいに絡んでいるところを切っていく。和室の前の格子に絡んでいるのをはずすと、障子の白さが眩しい。
門までのわずかな距離を蔦の塊が次々と覆っていく。撤去のことを思うと、後悔しそうになる。
犬たちの散歩に逃げようとする夫を掃除要員に、さらに切り込んでいく。
ヒトはどうあろうと、自分の美意識で納得できたところで、眺めてみる。
ま、こんなものか。
しかし、脚立に乗っても手の届かないところに垂れ下がっている残骸が、何本もある。うーむ・・無理かもしれない。諦めかけたところに隣のひろくんが帰ってきた。
ひろくんが登った脚立が倒れないように、妹たちが支える。ひろくんは、丁寧に、慎重に残骸を取り除いていく。浅い庇の上の、見て見ぬふりをしていた、ごみまできれいに取り除いてくれた。作業完了。
暖かい家の中で、みんなで飲んだとびきり甘いココアの美味しかったこと!

2007年12月31日    

志ん生 コメント:0

落語家の円生と志ん生が、敗戦前後の満州で過ごした数年間を描いた芝居を観た。落語に詳しいH氏にその話をすると、当時日本では、ふたりがすでに亡くなったのではないかという噂が流れていたらしい。名前を50回も変えた志ん生は、戦前から、その破天荒な生き方を含めて、独特の語り口が人気を集めていたという。
落語家たちの隠語で、質屋にものを預けることを、「まげる」といったらしい。志ん生は、着物を買うお金がないから、人から借りて高座に上がり、その着物を「まげて」金に換えてしまったという。
「家族は大変だったろうけどなあ」「でも、落語がそりゃあうまかったんだ」
志ん生が高座で寝てしまったという有名な話も本当だという。
「俺がその場にいたんだから、間違いないよ。」
弟子たちが高座で泥酔して寝てしまった志ん生を慌てて楽屋に連れ戻そうとすると、客のひとりが、そのままにしておけ、と言ったという。
「それから30分くらい、みんなで、眠っている志ん生を、見てたんだ。」
客が粋だったよなあ、と言いながら、H氏は四季彩舎の狭い階段を下りていった。志ん生ほどではないが、ほろ酔いの足取りを心配する声に、でぃじょうぶ、と江戸弁で応えて。

2007年10月15日    

商店街 コメント:0

ずっと以前から、よく知っていたような町並みだった。
白いのれんのラーメン屋、赤ちょうちんをぶら下げた飲み屋、メニュウにカレーライスのある蕎麦屋。マツモトキヨシでない薬屋。それらに挟まって、豆腐屋に魚屋。少しだけ今風の洋食屋。そして、貸し本屋まであった。
店頭には、貸すのではなく売り物の小説や、黄色くなった全集類が積まれている。中に入ると、棚の本には丁寧にカバーがかけられていた。そうだった、貸し本屋の本はこうだった。
「前はこっちの棚全部が小説だったのに、コミックがどんどん増えてしまって。」
「ここで50年よ、わたしもばばあになったわ。」白髪の店主が、そう言った。
ずっとこの場所で?確認せずにいられなかった。
「そうよ、ここで50年。隣は風呂屋だったのよ。知ってる人はもう、いないけどね。」
最近はやりの、昭和を意識した演出ではないことに、胸の中で拍手をした。
次々と客が訪れていたが、実際に借りる人は少なそうだった。
帰り道によく見ると、平日なのにそれぞれの店には、それなりに客が入っていた。ところどころにマンションがあり、コンビニもあった。路地を出ると、国道の上に高速道路がかぶさり、車の唸り声が、途切れることはなかった。

2007年08月22日    

おくるみ コメント:0

5月に生まれた赤ちゃんは、それはそれは小さくて、あまり泣かないから、最初は心配したものだった。おっぱいをあげる新米ママは、背中にクッションを当て、ひざの上にもクッションを積み上げて、不器用に、恥ずかしそうに乳房を吸わせた。
1ヶ月して、赤ちゃんは同じころに生まれた誰よりも重くなって、ママはちょっと嬉しかった。夏の日差しの中の初めての外出は、この世の全てに祝福されているようだった。
お風呂に入れるのはおばあちゃん任せだけど、げっぷのさせ方だってうまくなった。パパの抱き方も余裕が出てきた。
もうすぐ2ヶ月になる赤ちゃんは、手首や足首にくっきりとわっかをつけて、新生児服はもう、似合わない。ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんやおじさん、おばさん、いとこに、はとこ、パパやママの友達や、両方のじーじやばーばの友達や、近所の人たち・・たくさんの人たちに代わる代わる抱かれて、すやすや眠る。
生まれたばかりなのに、こんなにたくさんの人に抱かれた子はいないかもしれない。
抱き癖は、もうとっく。
おっぱいをあげるときにも、もうクッションはいらない。
忘れ物は、小さなおくるみ。また、おいで。毎日でもおいで。

2007年07月10日    

昭和の木喰 コメント:0

毎朝のウォーキングやラジオ体操を日課にしている人々が、忙しげに行きかう公園の、少しはずれた小道に、木彫りの1メートルほどの観音像が唐突にある。お寺がそばにあるわけではなく、お堂の中でもなく、無造作に道端に立っている。役に立たないくらいの小さな屋根が、わずかにその像を守っている。南無観世音菩薩という赤い旗が脇に立てられていなかったら見過ごしてしまいそうなたたずまいだ。木喰を思わせる、粗く削られた微笑に、思わず手を合わせてしまう。周りを掃除し、花を手向けることを日課にしているお年寄りに聞くと、由緒のあるものではさらさらなく、新しいものだという。
戦争で負けたあと、東京のはずれの、湧き水がふんだんにあるその公園には、ニコヨンという労働者がたくさん野宿していたそうだ。その中のひとりが、暇なときに彫って置いていったものだという。その人の名前も、どこへ行ったかも知らないという。
「あんまりいいお顔なので、こうして毎日掃除して、お花をあげているんです。」
この前はその近くで、亀が土の中に卵を産むのを目撃した。トンボが、まだ濡れた羽をひっそりと休めていた。カルガモの親子が、賑やかに行進していた。

2007年06月10日    

誕生日 コメント:0

きょうはお母さんのお誕生日だから、たんぽぽと白いお花を摘んだんだけど、つまずいて落としたのを踏んじゃったの。2年生のはるちゃんが言うと、わたしは修学旅行でお土産を買ってくるよ、と6年生のゆりちゃん。金じゃないんだよ、と、お父さんと区別がつかないほど大きくなった中学3年生のひろくんがわたしを見た。
じゃあ、おばちゃんちのお庭のお花をプレゼントにしようか。
うん!
香り始めたすいかずら、赤いシラン、こでまりとやまほろしと、どうだんを花束にした。
リボンはひろくんが結んでね。
ひろくん、こういうの上手なんだよ。
知ってるよ、小さいときから器用だもんね。
子供たちを呼びながらお母さんが近づいてきたとき、大きな背中で、ひろくんは、お母さんを遮った。
リボンの結び目がちよっと不満だったけど、はるちゃんに渡した。
花束を隠して、はるちゃんが恥ずかしそうにお母さんに近づいた。
お母さんが、不思議そうに笑った。
誕生日おめでとう!みんなで作ったんだよ。
お母さんは、目を細めて受け取ってくれた。
屋根の向こうに、金星が光っていた。

2007年05月03日    

穀雨の日 コメント:0

壁いっぱいに30点ほど掛けてある愛らしい鳥の絵を、その人は全部欲しいといった。北関東の小さな町に出す、新しい店の壁に飾りたいのだと。その店は、昼間はおしゃれな定食を出し、夜は料理を楽しんでもらい、建物にはお金をかけないで、椅子と食器にお金をかけたいのだという。壁の絵を、季節によってかけ替え、豊かな空間を楽しんでもらいたいと、目を輝かせて、語っていた。市場の流通のことから、各地の名産、漆器から焼き物まで、とても詳しそうにみえた。
「ところで、手付けはどのくらい?あ、財布をいま、築地ですられてしまって、一文無しなのです。こまったなあ・・」
和やかな空気が凍りついた。

赤いウィンドブレーカーを着て、Gパンのその人は、他の画廊でもそう言うのだろうか。
計画中といったその店は、果たせなかった夢の話だったのだろうか。
つかの間、彼は幸せだったのだろうか。
ドアを閉め、狭い階段を下りたあと、もう二度と入ってはいけない店のリストに、この画廊を秘かに加えたのだろうか。

2007年04月22日    

あいつ コメント:0

売り場に並んでいる無骨な姿にひるんだが、これでなければと、家に持ち帰った。
変身ロボットの腕のような重い操作部に不安がよぎる。
使いこなせるだろうか?
ホースの差込口がわからない。おかしい。散々悩んで選んだ奴なんだから、解りやす過ぎては有り難味がない。そうだったのか、と納得したい。あちこち、周辺をさまよう。
やっと見つかった差込口は、本体の手前でカーブして、ゆっくりと確実に固定される。
そう、こうでなければいけない。
先端のタービンは、くるくると陽気に回転する。奇妙に明るい奴だ。
スイッチを入れる。
以前のものとは違った金属音が混じる。初めての音に、犬たちが逃げる。
先端のあいつが、ごろごろと首を振りながら、愛想よく廊下の隅にたまった毛を吸い込む。
うん、働き者だ。
ソファの前の小さなマットが、たちどころに元の色を取り戻す。
満足だ。

2007年03月29日    

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指先を黒く染めながら、フキの皮をむく母の話はいつも同じだ。
「春になると、友達と裏山に山菜を取りに行くのだけど、わたしは虫や蛇が怖くて、必ず長靴で行くの。要領が悪くて、わたしだけ取れなくて、いつも友達が、かごをいっぱいにしてくれるのよ」
母の煮る蕗は、ほどよく歯ざわりがあり、砂糖を使わず、かつおぶしをつけたままの、田舎の味だ。
窓の外は、カーテンコールもなくうやむやに身を引いてしまった冬に、次の季節をせきたてられているようだ。去年の葉をつけたまま、雪柳が踊り、ハクモクレンもシャンデリアの灯をともし、母が好きな白山吹まで、先を急いでいる。来週にはもう、ソメイヨシノも咲くという。

2007年03月12日    

いない コメント:1

「わたしって、わがままだわ。亡くなったときは、早くお骨にしなくちゃと思ったのに、お骨になっちゃったら今度、顔が見たい、触りたいと思っちゃうのよ。」
「あの子がいないのに、時間て、たつのね。」
「たくさんいたって、あの子はあの子なのよ。」
1週間前に愛犬を送った友が、一気にそういった。
死は、なんと神隠しに似ているのだろう。
さっきまで使っていた食器。きのう着たTシャツ。歯形の残るおもちゃ。よだれを拭いたタオル。日が昇り、沈み、時間が止まらないのに、本人だけがいない。
金色に輝く毛に触りたい。優しいまなざしで、見つめられたい。
幸せそうに泳ぐ姿が見たい。耳の匂いをかぎたい。もう一度会いたい。
同じ思いが言葉にならず、公園の真ん中で、抱き合ってしまった。

2007年02月12日    

ロウバイ コメント:0

ロウバイの花を散らしているのは誰だ?
子供の背丈ほどの小さな木が、去年より沢山のつぼみをつけて、甘い香りが漂うのを楽しみにしていた。寒さの真っ盛りに、薄桃色のわびすけ、冬咲きの白いクレマティスと供に、小さな庭の主役のひとつなのに、つぼみがほころんだ途端に、もう、姿が消えている。
カーテンごしに庭を窺がっていると、キジバトがやってきて、金木犀の中に入っていった。
今までにも、巣をつくり卵をかえしたことがあったが、忙しそうに地面から枯れ枝を運んでいる姿は、ロウバイを食料にしている様子ではない。次にやってきたのは、頭がボサボサのひよどり。次々とわびすけに顔を突っ込んでは、食事に余念がない。その横に、鶯色の小さな鳥が、わびすけの枝を揺らしているのをみつけた。うぐいすか、メジロか、区別の仕方を知らない。地面をちょんちょん歩いているつぐみは、庭には入ってこない。電線に並んでいたムクドリも、犯人では、恐らくない。そういえば、いまごろ、ムクドリを見かけるなんて、季節がやはり、おかしいような気がする。
大寒が過ぎたばかりというのに、風の中に春の匂いが混じっている。
ロウバイを落とした犯人は、この中にきっといる。

2007年01月25日    

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秋のおわりに、歩くことができなくなったビビのために、朱色の大きなダリアを2本活けた。その色を見るたびに、元気になれるような気がしていた。
寝床から見えるように、黄色いパンジーを窓の外に植えた。水遣りをしているわたしを、ビビはいつも、反り返りながら目で追っていた。
安らかな眠りが訪れたあと届けられた1本の百合。数え切れないほどの花束。
白い花は、逝ってしまった者を悼むのではなく、残された者を癒す色だと初めて知った。
暮れに、大王松に真っ赤な水引を組ませて根元で絞り、扇のように開いた形の松飾を職人が作ってくれた。白磁の花瓶に収めると、うつむいた気持ちがくっきりとお正月へ切り替わった。

2007年01月09日    

電飾 コメント:0

おとうさんの今年のテーマは、歩道に電気のひさしをのばして、その下を歩いてもらうことだった。青い光を、縦横につないで、少し垂れ下がってしまったけど、半分は成功。玄関脇の、家族から評判の悪い飾りは、来年はもう少し改良しなければならない。
今年は、クリスマスイブが日曜日だったから、それはそれは賑やかだった。みんな立ち止まって写真を撮っていくから、いちばん写りのいい場所を教えてやらなければならなかった。そうか、あのひさし、来年はもっと豪華にしてやろう。きっとみんな喜ぶぞ。
可愛がっていたわんこが亡くなった婿さんのお母さんもやってきた。
どうですか、と聞くと、なかなか、慣れなくてと、目をうるませていた。
だけど大丈夫、来年には、家族が増えるじゃないですか。いい子を産めよと、娘にはいつも話してますから、元気を出して。
来年のテーマ、赤ちゃんじゃちょっとなぁ、おとうさんは腕を組む。

2006年12月28日    

散歩 コメント:0

激しい雨と風が一晩中吹き荒れた次の朝、たくさんのどんぐりや小枝が、木道が見えなくなるほど落ちていた。三宝寺池は睡蓮が終わり、水引草やつりふね草の季節になっている。
昔はなかった橋を渡り、しばらく行くと、子供のとき冒険心をそそられた、わたしたちの「ほら穴」がある。今では厳重な鉄の扉で中をさえぎられ、その前には鳥居まで立てられている。ほら穴の奥に、龍神でなく、蛇を頭に乗せた女の彫像があったのを知っている者は、そんなに沢山いないはずだ。
ラジオ体操が終ると、いつものベンチのところに、お年寄りが集まり、クラリネットを伴奏に、歌が始まる。以前より声が揃い、レパートリーも増えてきたようだ。丸々と太った野良猫が何匹も、その周りで日向ぼっこをしている。池のほとりで立ち止まると、大きな口をあけた鯉が次々に集まってきて、餌をねだる。もうすぐ、たくさんの渡り鳥がやってきて、池の人口密度も一気に大きくなるのだろう。
メタセコイアの大木の林をすぎると、もう出口に近い。庭から切ってきた花を持って、次は父の眠るお墓にお参りをするのが、実家に泊まったときの母との日課だ。今日は、萩とホトトギスと水引草。お寺の大いちょうの銀杏は、もう、拾われているだろうか。

2006年10月10日    

ゆりちゃんの悩み コメント:0

いつもの年より1週間早く始まった学校の、2学期の最大のイベントは運動会だ。去年に続いて、リレーの選手に選ばれたゆりちゃんは、今年こそ1等になるのだと、固く決意している。だけど、ひとつだけ問題がある。女子サッカーの県代表を選ぶ選考会が同じ日にあるのだ。この夏休みは、大学生や中学生のお兄ちゃんに負けないくらい、サッカーに明け暮れて、県の代表に選ばれる可能性がとても高いはず。
あのサバンナの、大人でさえ手を使いたくなるような急な斜面を、おしめ姿で、立ったまま上り下りしていたのは、昨日のことのようで、そんな驚異的な運動神経の未来を心から楽しみにしていたギャラリーも、一緒に頭を抱えてしまう。
栄えあるリレー選手と、県代表。
10歳で岐路に立ったゆりちゃんの悩みは深い。

2006年08月30日    

おきまり コメント:0

夏の籠を出した。
すっかり忘れて、去年のままになっていた中味をとりだすと、ポケットティッシュの、やけに多いことに気がついた。
そうだった。去年の夏、ティッシュは必需品だった。
父が亡くなったあと、母は静かに泣いてることが多かった。そして、泣いてしまう自分を意気地がないと、自嘲した。そうじゃない、悲しいときは、わあわあ声を出して泣いていいんだと、何度言っただろう。それでも母は声を出さずに涙ぐんだ。
父との想い出の場所をできるだけ避けて、気分転換に母と出かけるとき、バッグにティッシュをたくさん入れて、さあ、いくら泣いても大丈夫と、それが、1年前のおきまりだった。

2006年06月18日    

ぶなの森 2006年 コメント:0

ゆうべの濃い霧をたっぷり含んでいるからなのだろうか、雨が降ってもいないのに、ぶなの森の中は、ぽたりぽたりと、雨だれの音が止まない。遠く近く、カエルの鳴き声が、アクセントのように混じる。
足元の腐葉土の間から、小さな双葉が、競って伸び始めているのをみつけた。朝顔とそっくりな双葉は、よく見ると、イガイガのぶなの実から生えていた。まさかと思い、目を凝らすと、ひとつだけではない。ぶなの実をつけたまま、双葉のさらに1・2センチほど上に、ぎざぎざの新芽をのせているものがあちらにもこちらにも。2枚のもの、4枚のもの、もう、立派にぶなとみえる20センチほどに育ったものまで。
そうだったのか。最初の双葉は、動物の赤ちゃんが、母親のお腹の中で、とてもよく似ているように、植物もみな、そっくりなのかもしれない。こんなことは、誰でも知っている当たり前のことなのかもしれないが。
自分だけの新発見にほくほくしながら、しっとりとした森をぬけると、今度は春セミの大合唱だった。

2006年06月11日    

せんだん コメント:0

花は知らなかったが「せんだんは双葉より芳し」というのは、父の口癖だった。

初めて、せんだんに出会ったのは、まだ、数年前のことだ。
いつもの公園に、両親と睡蓮の花を見に行ったとき、いままでかいだことのないような、不思議な香りに、あたりを探した。ふと見ると、高い梢から人の背の高さくらいの枝先まで、うす紫色に煙っている木があった。幹に「せんだん」と札があった。
ああ、これが。

双葉の頃から、かぐわしく香るという呪文のような言葉を初めて聞いたのはいつだったのか。嬉しい感情と共に思い出すのだから、きっと何かで褒められた時だったのだろう。そのときに褒められたことは、わたしの中でどう育ったのか、それとも消えたのか。
車椅子からせんだんを見上げていた父は、何を思っていただろう。

2006年05月28日    

祭り コメント:0

ほら貝の音が響き、太鼓が打ち鳴らされ、木遣りの声が静かな境内に響く。満開の八重桜の下をしずしずと行列が始まった。30人ほどの木遣りの男たちが先頭を行く。それぞれの組の紋を染め抜いた半纏に伽半、黒足袋に突っかけ草履という姿で、低く高く唄いながら進む。紫や緑の衣をまとった僧侶たちが重々しく続く。真ん中で、母親の手をしっかりと握ったお稚児姿の子供たちが、もう片方の手に桜の枝を掲げて歩む。危なっかしい足取りに、周りから、はらはらしながらも笑みがもれる。後ろ手に掲げた傘をさしかけられた、位の高い僧侶のあとに、地元の檀家衆が正装で最後尾を務める。
萌黄色の風が、初夏の光と淡く交じり合って、大きな傘の上で踊っていた。
境内は、飴や焼きそばの屋台や、植木市で賑わい、名物の団子屋の周りでは、たくさんの人々が焼けるのを待っていた。
年に一度、この寺が一番賑わう時だという。東京のはずれの、こんな小さなお寺で、このような儀式が続いていることに、とても驚かされた。
墓参りで偶然この行列に出会い、お父さんが喜んでいるわと、母は何度も繰り返した。

2006年04月24日    

桜2006年 コメント:0

サンルーフを全開にして、爛漫の桜の下をゆっくり車を進めると、はらはらと、絶え間なく落ちてくる花びらが、降りしきる雪のようだった。わたしは運転席で梅川・忠平衛の道行きの場面を思い出していた。ときどき風に乗って入ってくる花びらに歓声を上げて、父は嬉しそうに手のひらで受けていた。
1年前、そうして車から降りることなく楽しんだ、同じ桜並木を、今年は母とふたりで歩いた。
お父さんに見せたかったねえ、母は何度も繰り返した。
うちの桜は今年、咲かないわね。

庭の桜は、去年の夏、枝が茂りすぎて電線に引っかかっていたので、大胆に剪定してもらい、今年は極端に花が少なかった。父がいたら、そんなことは絶対にしなかっただろう。
「桜切るばか、梅切らぬばか」それが父の口癖だった。

2006年04月16日